脱力系プログラマれっつらの送る、『ヒマが出来たら』的日記サイト。
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2004年08月08日(日):メガネから、考え無し雑記へ。 日記
新しいメガネが出来ました。シャー!!!!

新しいメガネは、前より細い横長の四角っぽい形で、
でも、微妙に中心のほうが細くなってたりで、
まあ結果的に大人メガネなんですよ(比較的)。
満足満足。


おしゃれの仕方って、イロイロあると思うんですよ。 なりたい自分になるようなやり方とか、 余計なモノを見せないやり方とか、 自信のあるトコロを際立たせるやり方とか。 イロイロ有ると思うんですけど、 「これって、その時々の自分の生き方と、少なからず同調してるんじゃないか?」と 今さらながらに思ったりしています。
僕の最初のメガネって、普通の銀縁メガネだったんですよ。 小学3年になる、チョット前。 全然おしゃれとかに興味の無い年だったのと、 眼科で買った眼鏡だったんで、あまり格好の良いのが無かった(?)のとかで、 もう、とにかく『与えられた』感満載の、普通の眼鏡で。 中学、高校時代は縁の薄い、黒ぶち眼鏡でした。レンズ大きめの。 「このサイトを見る人からすると、あまり信じられないかも?」とか思うんですけど、 僕って子供の頃から、 「面白く無く」て、「最終的に真面目路線」なのがコンプレックスだったんで、 道化っぽい眼鏡で、その辺を埋めたかったんですよね。 大学3年から今まで着けていた眼鏡は、レンズ大き目のふち無し眼鏡。 「素でもいいんじゃないか?」と思っていた自分と、 「やっぱ丸くて大きいほうが、面白そうだし、安心出来る」と思っていた自分の合わせ技。 今の眼鏡は、 「素と言うか、眼鏡は無いのが一番だ」と思っている自分と、 「だいぶ大人になったし、細長くしてアピールするかー。」と思っている自分の合わせ技。 …なんでしょうかね?
おしゃれの価値観なんて、何が正しくて何が間違ってるなんて、言うほうがナンセンスなんですけど、 敢えて自分の価値観だけについて振り返ってみると、 「随分自分も成長したモンだなあ」と思ったりなんかします。 別に自分、結果的にすごい真面目でも良いんじゃないかと思えてきて。 「それが成長なんだなあ」って感じるんですよ。 最近、昔の友人に会うたびに、 「自分が、自分が思っていたよりも信頼されるタイプだったんだ」と思わされて、 それって凄い価値のあるものだと感じましたし。 自分が過去後悔している出来事って、 大抵、「自分の枠を外れてみよう」としているときに起こっているような気がしますし。 (木曜のレスとかね(死)。) …なんか、良い意味で、自分で自分の身の程を知るようになったんだなあ。と言うか。
「自分のなりたいもののために頑張る」ということ。 「強いて、勉めて、『頑張って行う』に値することのみを行う」ということ。 「他人は他人、自分は自分」と割り切って生きること。 …きっと、これが『大人になる』ってコトなんでしょうね。 ネガティブに見ると『自分で自分の可能性を閉ざす』ことにつながるとも思えるので、 いつの時代も、大人は子供に『そうなる』ようには勧めないんでしょうけど。 「何かを得るために、何かを捨てる」という言葉が、とても良く分かる年になってしまって。 …オレって老けた(大人になった)モンだなあ。 嬉しいやら、寂しいやら。