脱力系プログラマれっつらの送る、『ヒマが出来たら』的日記サイト。
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2003年01月17日(金):「怒る」ことについて。 日記
親をお医者さんに連れて行って以降、
僕の生活はすこぶる住みやすいものになりました。
「家にばかり居たら云々」
「外へ出てみれば云々」
などのセリフは、あのとき以降全く無くなりましたし、
親も割り切って考えてくれたのか、家の雰囲気が暗くなることも無くなりましたからね。

…ときどき平日に、親戚のオジサンとかが家を訪ねてきたりすると、
随分とまあ、焦っちゃいますけど。

環境は最高。
あとは治るのを待つばかりといった感じです。

…まあ、相変わらず、
活字を多く見たり、外から帰ってきたりすると、ひどく頭が痛くなっちゃいますけど。
家でまったりしている分には、普通の人と何も変わらない生活が出来てますし。
そんな感じで。


ふと、あまり関係無い話。 今日、親とイロイロ雑談してみて思ったんですけど、 僕って昔から、日常でストレスを発散させるのが酷く下手なんですよね。 それとあと、「怒る」ことに対して、チョット歪んだ考え方を持っちゃってまして。 僕は子供の頃、ストレスを「怒る」ことで発散させてた(と思う)んですけど、 流石にそれだと、他人にひどく迷惑がかかるし、何より人間的にアレなんで、 中学校入る前あたりから、それを「禁じ手」にしたんですよ。 「怒る」のを「禁じ手」にするために講じた手段は、主に「自分の我慢のキャパシティを増やす」だったんで、 元から不器用でストレスを溜めやすい性質だった自分は、 どんどん無意識にストレスが溜めるようになってしまったんだと思うんですよ。 でも「怒るのを禁じること」を十年以上も続けていると、 必要なときも「怒る」ことが出来ないくらい「禁じ手」になっちゃってて。 今回の、「会社に対してのイロイロ」については 「怒らなければならない」ようなことは特に無かったんでまあ良いんですけど、 一昔前の「研究室に対してのイロイロ」については、 「怒らなければならない」こと、結構ありましたからねぇ。 …ま、今ごろ過去を悔やんでもしょうがないんですけど。 …問題は、もう一度あのときのような状態になったとき、 今の僕が怒れるかどうかなんだよな…。 きっと怒れないけど。