ヒマなんで、後の自分に届くように、 僕の、思春期から今までの積み重ねの結果を書いてみました。 自分が、昔と比べてほとんど悩まないで済むようになれたのは、 鬱になって、死ぬほど色々なことを考えて、 疲れた中、心のドロドロしたものを見て、そして復活して、 その後、それを振り返れるだけの時間を過ごせたからなんでしょうけど。 でも、「将来悩まないために鬱になれ」なんて、冗談でも言えないので、 ココに現状のまとめを載っけてみました。 まだ27年分ですけど。 少なくともコレ、自分にとっては役に立ちそうだから載せておくワケなんですけど。 コレを見て衝撃を受けて死ぬ人も同時に出そうなのが、アレなんですよね。 …まあ、強いチカラの及ぼす影響は、裏表一体ですからね(強いのか?)。 前置き。 ・人の、「怖い」という感情から逃れようとする力は、物凄く強い。 ・「怒る」ときというのは、自分の中の強い力がそれによって危機的状況になりそうになる場合に起こる。 ・他人を怒る、責める、問い詰める場合は、必ず怒りの理由を説明しなければならなくなるので、 必然的に己の持つ『強い力』を晒さなければならなくなる。 自分編。 悩まないで済む自分にするための最短の方法は「自分(の程度)を知る」ことだと思っています。 自分は何がしたくて(プラス視点のエネルギーの源泉)、 何が許せないのか(マイナス視点のエネルギーの源泉)。 2つの気持ちは、実は表裏一体で、 本当に頭が疲れ果てたときに、自分の命を『死』に持っていかないための、最大最強(最期?)のエネルギーになります。 少なくとも、僕にとってはそうでした。 このエネルギーは『超強い』だけに綺麗事だけじゃ済まされない部分が有るので、 「〜でなければならない」とか「他人はどうして〜しないのか」という思考に陥りやすい人にとって、 それを知ることは、結構しんどいモノになるんじゃないかと思います。 (僕は、鬱との闘病生活の間で垣間見てしまいましたし。) でも、「知ること」を通じて、自分(の程度)を知ると、 先ず「(不器用だった)自分の上手な扱い方」が分かってくるので、 頑張ることも休むことも、大分効率良く出来るようになってくると思います。 あと、『最期の武器(エネルギー)』とはあまり関係の無い事象になればなるほど、 「どうでも良くしても、別に構わないこと」だと思えるようになるので、 他人のつまらない一言とかを気にすることは、格段に減ることになるんじゃないかと思います。 他人編。 他人の「怒り」とか「憤り」を感じたときに、そのエネルギーの源を分析することによって、 自分自身に対してほどでは無いにせよ、「その人(の程度)を知る」ことが出来ます。 他人が自分の将来の夢とかを語っているときも、多少の分析は出来ますけど、 ポジティブな話は、別に己の中身を晒さなくても出来ることなので、 話している人の「人となり」が分かるぐらいで、きっと分析までは出来ないかと思います。 (人生賭けている夢を語っているときは、結構分析しやすいかもですが。) 己(の程度)を知り、他人(の程度)を知ると、 自然と、悩みを大きな『流れ』で考えるようになってくるように思えます。 詰め将棋みたいな一手一手を考える考え方じゃなく、 「雨が降って地固まる」みたいな、比較的アバウトで大きな考え方になってくる。 …みたいな。