脱力系プログラマれっつらの送る、『ヒマが出来たら』的日記サイト。
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2003年12月22日(月):人生の積み重ね。 日記
「いやぁ。今日のブラックジャックのアニメスペシャル、目茶目茶貫かれたー。」
上っ面の感想だけ述べても何の意味も持たないくらい、凄い作品でしたね。

強いて言うならば、あれはまさしく「人生の積み重ね」の力の賜物であって、
今現在の僕には絶対に到達出来ない場所にあるということ。
神様の名前、伊達に呼ばれていませんね。


「人生の積み重ね」。 この言葉は、僕の人生哲学そのものと言うか、 少なくとも、物心ついたときから無意識に意識している言葉です。 人間は、同じ時間を過ごしても、 何にも考えないで生きているのと何かを意識しながら生きているのとでは、得るものの量が違う。 何かを意識して生きていれば、少なくともその分野では他人より上へ行くことが出来る。 例え、その「何か」がはっきりしていなくても。
中学生のとき、親友から似たようなコトを言われたことがあります。 当時、僕の親友だった奴は絵が上手くて、 それで学校の帰りに「絵の上手くなるコツ」として、そんなコトを言っていたんです。 「帰り道、周りの風景を、普通の人なら何も感じないで素通りしていくだろ? オレみたいにいつも周りを意識して歩いてれば、多少は上手くなるんだって。」 僕はそのとき「例え上手くなるためでも、それはかなり嫌だ」と思って、今日まで生きてしまって。 だから絵がヘタなのだろうと、自分で自分を納得させていたりします。
マンガを描くにおいて、僕が常に意識していたことがいくつかあります。 先ず「表情を豊かに描くこと」。 正直、僕の描く表情なんてほとんど漫符のようなモンでしたけど、 それでも随分意識して描いていました。 例えば「感情の無い人」を描くにしても、それは周囲のキャラが感情豊かだからこそ映えるワケで、 これはかなり意識していました。 次が「有りえないセリフを吐かせないこと」。 人の感情はリアルに近づけてこそ映えるモンだと意識していたので、 橋田須賀子ドラマにあるような、現実世界で吐かないようなセリフは、絶対に言わせませんでした。 たとえファンタジーを描いたとしても、口語調は崩さずと言いますか。 …いや、オレの過去のマンガ、粗探ししなくていいから(笑)。 あとは 「1ページ1ギャグ」とか、 「ページ開いた次には、何かをぶちかませるようにする」とかも有るには有りました。 ジャンルによっては、まるでお薦め出来ないんですけど。 …上記の「意識」と言うか、「心得」の中に 「絵を綺麗に描く」と言う言葉が有れば、また違った人生を歩んでいたのかもしれないんですけど、 それは今の時点でも(何気に)優先度低いんで、やっぱ僕は結局僕だと言うコトなのでしょうね。
漫画家になることを実質諦めた今でも、 この辺りの積み重ねの結果は十二分に役に立っていると思っています。 あと「漫画を描く」ことに対して以外にも、 意識して積み重ねていることが(たぶん)いくつか有りまして、 僕が(ネタとして?)濃い人間でいられるのは、きっとそのおかげなんだろうと自負しております。 まあ「意識」っつっても、ほとんどが「何となく」程度のモノなんですけどね。
今日は、1キャラの全てのモデルを(一応)終えて、動かしてみました。 何百と出す兵士のモデルなんで、無様なまでのポリゴン数の少なさですけど、 これの一部を、名の有るキャラにも使いまわしていくつもりなんで、 きっと何度か修正するんだろうな。 作って進めていくと、自動的に粗が出て、 それを直すと質が向上し、同時に出来る可能性が増えてくる。 ゲーム製作は楽しいモノです。 しばらくは、コレで生きていきたいなー。