土曜日の飲み会は楽しかったやね。 れっつら、れっつらでございます。 一次会の会場が、綺麗で素敵だったり(ご飯は少なかったけど)、 二次会なのにご飯を食べ過ぎたり、 昼の部をまったり過ごしたり、 いつも通り普通に楽しく過ごせました。 数日前、 ふと「性善説・性悪説」みたいな人間の考え方基準を思いついてしまった自分。 「性賢説・性バカ説」と称して、ちょっとまとめてみることにしました。 ■性賢説 「基本的に人間は賢い」と思っている人のコト。 「人間は賢いから、きっと未来はもっと素敵になるさ」とか、 「人間は賢いから、集めればもっと凄いコトが出来る」とか、 「人間は賢いから、気を抜いているとすぐに出し抜かれる」とか、 「人間は賢いから、殺すつもりで行かないと殺される」とか、 その時々のテンションで、イロイロなコトを考えている。 ■性バカ説 「基本的に人間は馬鹿で愚かな生き物だ」と思っている人のコト。 「一部の人間は賢い」という設定が付加されて考えられることが多い。 「人は皆愚かなのだから、愚かなりに生きよう」とか、 「自分は分かっているのに、他の人はそれに気づいてない」とか、 「一部の賢い人たちが、世の中を操作している」とか、 「自分も賢くて、世の中を操作したがっている」とか、 「これは○○の陰謀だったんだよ!!」「なんだってー!!!!」とか、 その時々のテンションで、イロイロなコトを考えている。 人の考え方を「ボキャブラ天国」方式で 性善説 ↑ | | | | 性バカ説←−−−−+−−−−→性賢説 | | | | ↓ 性悪説 のように一度考えたら、何だか楽しいかもだよなあ…とか思っているんですけど、 こういう話って、人生で何回もしないですよね。 ちょっと気を抜くと「自分とは考え方が合わない人」批判みたいになりそうですし。 ちなみに、僕自身の傾向を図に示してみました。 性善説 昔の自分→* ↑ | | *←今の自分 | | 性バカ説←−−−−+−−−−→性賢説 | | | | ↓ 性悪説 「他の人は良い人」「なのにどうして分かってくれないんだ」的自分から、 「前へ進むために無意識に非道いことが行われてしまう場合もある」 「他人の賢さを、いかに自分のモノにするか?」的自分へ シフトしてきていると言いますか。 そしてオチも無く終わる。