脱力系プログラマれっつらの送る、『ヒマが出来たら』的日記サイト。
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2003年12月23日(火):レジェンドオブ年賀状。 日記
今日は、2駅離れたトコロにある100円ショップに行ったり、
帰り道にある「ブタさんが美味しそうにラーメンを食べている看板の店(10月7日参照)」で
つけ麺を食べたりしてきました。
つけ麺、ピリ辛味噌だれで超美味え〜!!


家に帰ってきた僕は、買った100円グッズで部屋のお片づけ。 CDを整理したり、過去の年賀状を整理したりしました。 年賀状。なんと平成7年のから残っていました。 平成7年って言ったら、およそ9年前ってコトだから、オレ16歳ですよオイ!! 某私立男子高校の1年生ですよ。
まとめてみたら面白かったんで、 各年ごとの、僕の貰った年賀状の傾向をココに残していこうと思います。 ■平成7年(高1) 貰った年賀状は、たったの6通。 高校の友達からの年賀状は、高校の友達自体3年になるまで少なかったのもあり、1通。 あとは中学からあの頃あたりまでの親友が1通、 ほかの中学,小学時代の友達が3通、 中2のときに区の集団ホームステイイベントで一緒に行った他校の人が1通。 最後の1通は女の子であったが、もう僕は顔すら覚えていない。 こういうのは感謝して受け取らねばならぬと何度オレは(涙)。 ■平成8年(高2) 4通(号泣)。 去年のメンツから、かつての親友と女の子を差し引いた人間でドンピシャ行っていた。 親友とお互いに自然と離れたのがこの頃だったのは未だに覚えているが、 年賀状で見ると、端的で何かね。 ■平成9年(高3) 6通。 かつての親友からの年賀状、復活す。 この年は、高校の友達からの年賀状が4通入っているのが印象深い。 当時一緒にゲーセンに行きまくり、その結果受験に落ちた連中だ。 皆、滑り止めに(必死こいて)受かった僕に対して、「裏切り者〜(泣)」とか言ってたっけ。 懐かしいなあ。 ■平成10年(大1) 8通。 高校時代の友人が2名、大学の友達が1名。サークル同期が3名、先輩が1名。 サークル効果で、やっと増えてきた。 高校時代の連中とは「いつか会おう」とか送りあってたけど、結局合わずじまいだったねぇ。 ■平成11年(大2) いきなり増えて、22通。 会長としてサークルの面々に出し、戻ってきた分が大半を占めている。 会長になった頃は、良くも悪くも情熱に満ちていたからねぇ。 大学の同じ学科の友人からものがちょっと増え、5通。 恋愛ネタとか振ってくるあたりが、健全で懐かしい。 高校時代の友人からも、1通来ていた。 あいつ、今何やってんだろ? ■平成12年(大3) 20通。 地元お馬鹿連中が(再?)結成された年だったようで、連中の年賀状が入る。 あとは、大学のサークル連中と学科の友人。 皆、研究室の話題で持ちきりだったようで。 ■平成13年(大4) 11通。 研究室を辞めて引きこもっていた影響で、学科の友人は0通…かと思いきや1通。 「元気?たまにはメール入れて!」とのメッセージ。当時のオレは気づけなかったよ。 あと、引きこもりの影響か、当時のサークル1年には年賀状を送っていなかったみたい。 ほとんど会ってなかったからなぁ。 ■平成14年(大5(死)) 18通。 一部の絡みづらい人を除き、満遍なく年賀を送った成果が出た年。 サークルの同輩と後輩に、満遍なく年賀を送っていた理由は、 「漫研なんだから、年賀状くらい描かなきゃおかしいでしょう〜?」という理由と、 「連中からはぶれたくねぇ〜。」という、切実な願いからだと思われ。 …いや、そんなに切実にならなくていいから自分。 ■平成15年(社会人脱落1年) 9通。 冬コミで忙しかった組がことごとく出していなかったのが印象的。 地元連中もしょっちゅう顔を合わせているため、0通。 …って言うか、この頃オレは鬱で死んでたんじゃ〜ん。 確か、それでも出す年賀状の数はほとんど同じだった気がするんですけどね。
来年は、今年の現状維持あたりが希望です。 今年出会った人、皆無でしたけど(涙)。 卒業したOBとか、地元のお前らとか、 今年は皆で年賀状送りまくろうずぇい〜!! …あと梅くん。実は一回しか送ってこなかったのねお前。 お母さんは悲しいわ。
あと一週間ちょいで来年ですね。 年賀状まだだから、描かないとな。 あと、冬本のネタが驚くほどに出てきておりません。 ヘタすると人生初の「原稿落とし」をやらかしてしまうかもしれないんで、ゴメンね。 …って、コレはあと3日じゃんよ!!