脱力系プログラマれっつらの送る、『ヒマが出来たら』的日記サイト。
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2009年08月24日(月):どこでもドア サイエンスフィクション(笑) 日記
人間、主義主張、感情や教義の対立では争えるものの、
便利にはなかなか逆らえないものだ。
野○ の○太(嘘)

22世紀初頭、後に世界の仕組みをも覆す画期的な道具が開発された。 瞬間移動装置『どこでもドア』である。 世界初の瞬間移動装置ということもあり、当初はとんでもない価格で売り出されたが、 大富豪や各国の諜報部隊まで買い手が尽きることは無かった。
数年後。幾分か安く手に入るようになったどこでもドアは、 法律によって利用が制限されるより早く、世界に広く出回るようになる。 どこでもドアからの侵入を防ぐ「アンチどこでもドア装置」により、 富裕層や都市部の店舗などでは、どこでもドアを利用した犯罪を行うことは難しかったが、 装置の隙を突いた計画的な犯罪や、地方を狙った犯罪が後を絶たなくなる。 それに対し世界各国は、どこでもドア犯罪に対する治安維持部隊を設置し始める。 また、どこでもドアによる密入国が急増したのも、この時代である。
十数年後。 富める者は、守れる規模の財産のみ守り、 貧しい者は、豊かな土地へ移り、最低限の衣食住は守れるようになる。 そんな時代が訪れた。 平和な国からすれば、治安は悪くなってはいた。 街には常に、重武装のどこでも治安部隊がパトロールを行っていたし、 見たこともない見た目の人が、辺りをうろつくこともあった。 ただ、ポジティブに解釈すれば、それはチャンスでもあった。 南の島であまり働かずに過ごしたい人々は、もう既に引っ越していた。 北欧の女の子が好きだったり、東南アジアの女の子が好きだったり、 白人男性が好きだったり、マッチョな黒人に抱かれたいような人は、 もう日本には居なかった。 一方、日本にはオタク系の外国人や、 サムライゲイシャ好きの変な外国人が増えていった。
数十年後。 世界の資産は、フラットになりつつあった。 富を生産する者は未だ裕福ではあったが、ほとんどの者が同じ質の生活を送っていた。 運搬コストはゼロになっていたので、日用品であればいつでも容易く手に入る世界。 貧困による犯罪は減ったが、きつい労働をしたがる人の数も減った。 それにより、多くの人々は質素な暮らしを強いられるようになったが、大抵の者は理解していた。
戦争。 好きな場所に似た思想の人々が集まるようになり、それが国家に似た形を取るようになった。 人々は思想に重きを置いて国家(らしきもの)を作ったため、そこに暮らす人々のほとんどは混血化していった。 『プリティ』と『カワイイ』は似ているけど違う。 『勿体無い』の概念は、日本語以外には無いらしい。 そんな細かな知識の積み重ねにより、とりあえず世界中のどこでも何とか意思疎通が出来る程度には、 人々の言語も統一化されていた。 そんな世界でも戦争は無くならなかった。 思想の対立だけはどうしても無くならなかった。
百年後。 世界は、『趣味と言う名の文化』で凝り固まった多数の小国と、 裕福なものを求めるいくつかの大国を持つ形で固まった。 一部の国は争いを続けたが、 争いが起こると、それを嫌う住民が「荒らすんじゃネーヨ」と別の似た国に逃げるようになったため、 戦争の多い国には、血の気の多い人間や、血の気の多い哲学者だけが集まるようになった。 この頃の戦争は、ぶっちゃけ今のコミュニティサイト荒らしに近い思想からのテロルであった。 他国の人々は、戦争の多い国に目をつけられないように、穏やかに生きていくことを決めた。
人間は、時として一人で偉大な成果を挙げることがあるが、 たった一人の心を狙って動かすことは、誰一人出来やしない。